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2012年12月15日

愚痴る

7歳の甥っ子の誕生会。
何が食べたいか、リクエストを聞いたら《からあげ》だと言う。
残念ながら、今夜は家族で焼き肉になったので手作りの唐揚げはしなかったのだけど、夕方近所のスーパーに食材を買いに行った際、母がお惣菜コーナーのパックに入った唐揚げを買った。
帰り道の車の中、私は息が出来なかった。マフラーで鼻と口を覆って浅く呼吸をして20分、やっと帰ってきた。油とケミカルの臭いが充満する車の中、胃がもたれて気持ちが悪い。一体どうしてこんな質の食べ物が市場に出回っていて、人々は何の疑問も疑いも持たないまま食べ物をエネルギーにしているんだろう。質の悪い食事で作られる人は、同質の肉体と精神を持っていると思う。スーパーでは我先にレジに並び、かごが人に当たろうが目も合わせない。どうしたものだろう、この社会。スーパーはプラスチック製品だらけ。ガラス瓶好きな私はアメリカにいるとつい、その後の瓶の使い道を考えてピクルスでもココナッツオイルでも、瓶重視で買ってしまうのだけど、日本のスーパーでは何のトキメキもない。
私は何年ももう焼き肉屋さんに行くことは無くなったけれど、実家にいる間に家族に肉料理を作ることがある。臭覚が異様に敏感な人間なので、時々母が買ってきたパックの肉を焼くと異常な臭いを感じることがある。その度「ネクロファゴ」な野蛮性を思う。かといって人を非難しようという気はなく、人の意識を変えようとも思わない。人の力で変えられるものではないから。人は自らの経験を通して気づきを得ないと、自分の意志を持って変わろうとはしない。身をもって知っている。それがいいとか悪いとか、そういうことでもない。みなそれぞれ成長の過程もスピードも違う。

一番恐ろしいと思うのは、報道やテレビ、CM広告、日常の何気ない情報によって人々が驚くほどBrain Washedされていることだ。コントロールされ、パターン化されている。午前中に行った、甥っ子5歳の幼稚園のお遊戯会。立派な市のホールで行なわれ、あまりのショックで失神しそうになった。12時半から始まり、各園児はダンスと、劇に出てはひっこみ、3時過ぎまで20演目もあった。見ていられないのは、4歳児の女の子たちがAKB予備軍として、まさにそんな状態で肌が露出した、へそだしミニスカートのいで立ちで踊らされていることだ。教育って何だろう。頭を抱えてしまった。品もなく、文化もなく、個性を4歳にして押さえつけられた、パターン化の茶番。女の子はピンク、男の子は青。ジェンダー教育のかけらもなく、幼くともジェンダーに違和感を感じている子が、もしいるとしたら、それはとても息苦しい辛く狭い社会だろうと思う。個性や個の成長スピードもおざなりじゃないか。衣装も纏わず、列のはずれでぽつんとただ立っている男の子がいた。立派な個性だ。ただし、観客の人々は言う。「どうしちゃったんだ、あの子は」私にとっては、先生の指示通り型にはまって、いい子でいる4歳児のほうがよっぽど心配だ。

3年ぶりに日本に帰ってきて、初めてパワハラという言葉を知った。セクハラは知っていたけどパワーハラスメントというのも会社ではあるらしい。だとしたら、幼稚園教育から考えるべきだ。社会人になって会社に入ってから、突然起こる現象ではなく、お遊戯会に既に原石があるのだから。4歳の娘がセックスアピールに溢れた品格が見られない衣装で、お尻を振る振り付けをつけられて踊らされている。選曲も今の流行曲なのか、音でもリズムでもない。歌詞が淫ら。モラルハラスメントしかり、その衣装でカワイイね〜と先生や親に褒められれば、4歳の純粋な子どもたちはそれがロールモデルになるではないか。へそ出し衣装で、ふっくらした子は幼くして他人と比べられ、自尊心を傷つける。

もちろん日本中がこんな教育だけな訳ではなく、モンテッソーリやシュタイナーに関わっている友人や家族もいる。この地域でこういう生活をしている弟夫婦をジャッジする気もない。私は色々な側面を見せてもらって、多様性の幅を大きくし、たくさん考える。NYからハワイ島に移って、子どもたちの野生力を目の当たりにしたときの、あの衝撃と言ったらなかった。私が教育論たるや学んできた全てを、微塵にもぶち壊してくれたハワイ島で出逢った子どもたちに愛と感謝でいっぱいだ。全ての子どもたちが安心して、何に洗脳されることなく、自分の本来の姿を輝かせて笑っていて欲しいと思う。

最後の最後で、年長さんたちの太鼓があった。
18演目の雨雲がすっ飛ぶような、太鼓の振動。嗚呼すばらしかった!振動だよ。心を、ハートを震わせるのは。どんな人種だって、言葉がなくても太鼓のリズムさえあれば大丈夫なんだ!一列に並んで同じ振り付けを間違いなく!ではなくて、同じリズムを共鳴することなんだよね。太鼓は自分のポン!を叩きながらも周りのポン!を聞いていなくちゃ合わないんだから。聞いていたおばあちゃんやおじいちゃんも、全然反応が違う。思い出すんだよね何か、野性的な躍動感を。踊りも音楽も、やっぱり根底に民族文化が流れていて欲しいと思わずにはいられない。色々学んだ一日。
1歳になった姪っ子は、居間をフッツーに歩き回った。ほんの1週間前は2,3歩だったのに!子どもたちのパワーって本当にスゴい。奇跡だ☆

2012年11月1日

are you part of solution?



マヤのドキュメントに続き、モンサント関連。
本当にどこまでもはびこるモンサントの脅威。

遺伝子組み換えや化学調味料の話になると、両親は取らないに越したことはないけれど、いちいちそこまで日々考えていたら何も食べられない、、と言います。日本の田舎で、ネットもメールくらい、という年金生活者の環境となると意識はそのくらいなのかもしれません。
直接、直ちに反応が出るものではない遺伝子組み換え食品や、成長ホルモンを投与された牛の肉やミルク。そりゃ生きてる間に影響はないかもしれないよ。あるかもしれないし。そんなことを考えてストレス抱えて生きろとは言わないけれど。でも2世代先やずっと先の子どもたちの未来と、破壊された土地のことを考えたら、知らない訳にはいかない。

モンサントの陰謀をみる時、10年後東電と福島原発のドキュメンタリーを同じように見る日が来る気がしてしまう。地球を傷つける大企業とお金、その下で犠牲になる人、健康、安全、信頼、未来へのSustainability。

知ることから、出来ることから動いていこう。






NO GMO

2012年2月18日

Permaculture @ Kolea Farm

North ShoreのPupukeaにて
パーマカルチャーのワークショップ

Certified OrganicのKOLEA FARMで
サステナブルでありローカルに根付く暮らしを提唱している
Billの農場におじゃましてきました。
タピオカの根。
自分の口にするものが
どういう形でどう育ち、どんな土壌で
どう身体と心に影響してくるかを知る事は
とても大切で貴重な素晴らしいことだ。
Chayamansa

新しい植物もたくさん知る事ができた。
Tree Spinachと呼ばれるメキシコ原産のchayamansaに一目惚れ
ケールやほうれん草よりはるかに優れた栄養価。
プロテインも鉄分も
そしてカルシウムに至っては最強!
育てるのも食べるのも楽しみ!
Percentages are based on minimum daily requirements.
%ChayaAlfalafaSpinach
Protein8.253.662.00
Crude fibre1.943.122.07
Carbohydrates7.234.840.19
Calcium421.0012.0049.00
Phosphorus63.0015.0030.00
Iron11.615.305.70
Vitamin A8.520.742.48
Vitamin B10.230.130.03
Ascorbic Acid0.350.140.10
 274.00130.0017.50




















2012年1月26日

Waimanalo

 Aquaponicsのワークショプ
        @Waimanalo

 自然の営み、自然の循環に驚かされる
そして人間の愚かさや便利さを追い求めた上のegoを知る

出来ることから。
私のアンテナがキャッチ出来たたった少しからはじめよう
泥の道でも、一歩は歩み始めたのだから。
美しき螺旋 
彼らは何を食べればいいか知っている

2011年8月11日

wild things

明日は満月。月がこんなにも明るいとは。

今日もKalaniでの〜んびり。
ここにいると心が開いて落ち着くなあ。
ベビーシッターを頼まれて夕方の1時間を子ども達と過ごす。
 4歳と6歳。この姉妹の野生児パワーに圧倒。
一度で私の名前を覚え、超フレンドリーに付いて回る。
転んでも泣きやしないし、高い木にもどんどん登る。
都会の子ども達の物わかりの良さは
抑圧されたものだったのかと
この子たちの自由奔放ぶりを見るとあまりの差に驚かされる。
私の価値観も教育観念も、この森の子ども達の前で
ハラハラとはがれ落ち、風に乗って飛ばされてしまった。

とにかくたくましい。
4歳児は大きい子の真似をしたくて何でもやろうとする。
けれど身長が足りなかったり、力が足りなかったりして
私に助けを求めてくる。
自分が出せる力で、自分が出来ることを分かってやるのよ、
と一声だけ。私は安全を見守るだけ。
それでも4歳児は挑戦し、大きな木から下がったブランコから落ちた。
鼻を擦り剥けて、私と目があった瞬間に
だいじょうぶ!だけ言ってまたブランコに飛び乗った。
自分で責任を持てる範囲でやった結果なら、泣いても痛くても
子どもは学ぶなあ。強いなあ。
過保護に子どもを守る前提で作られた公園や遊具より、
子ども達は自然にこの母なる大地から遊びを創り楽しみに変えてしまう。頭でっかちの大人の私は、彼らから学ぶことが山ほどある。



2011年6月11日

区切り



YES, I DID IT.
I Proud of myself! 

2010年12月15日

mission complite

last day of school
「よくがんばったね」
そう自分に言ってあげよう

2010年10月24日

言葉の成長

子どもの成長過程に居合わせる時、
どうしたって自分にfeedbackが返ってくる。
その時的確な受け答えが出来たかどうか、
落ち着いて、いい方向へ導けたかどうか、
後になって考えることばかりで、
瞬時に判断して言えないことが多い。


言語習得の途中、子どもたちは時に大人から環境から
使うべきではない言葉を、そうとは知らずに使うことがある。
それはF wordだったり差別用語だったり。
もちろん彼らの模範である私たちが、日頃から正しい文法で
リスペクトある言葉を選ぶことが前提なのだけれど、
環境からもらってくることもある。

その日、私の聞き返しに対して4歳の男の子が、
Are you deaf? とお店のカウンター越しに言い、
隣にいたお父さんも、他のお客さんも凍り付いた。
お父さんはすぐに彼を正し、彼は事の大きさに、そして
自分の発した言葉の重大さに困惑して、
お父さんの陰から顔を赤らめて私に
「ごめんなさい」と言った。
そんなつもりがなくてもどこかで耳にして
こういう時に言うんだ、と使ってみることが3歳や4歳だと
あることだし、もしくは実際両親が喧嘩をしている時に
無意識にF wordを投げ合っていて、それを子どもがキャッチ
することだって多々ある。(特にここハーレムでは日常茶飯事に
道や公園で。聞かないでいる事の方が困難!)

さあ、それじゃあ私は瞬時にその時子どもたちに
どう言ってあげるか、どう対応するか。
常にそのfeedbackで頭がフル回転だ。
その子、ひとりひとりの性格も配慮した上で
押さえ込まずに、うまく望む方向へ導けるように
道しるべを作ってあげたいと思う。

2010年9月22日

耳を傾ける

子どもたちの感覚に耳を傾ける。
大人のきまりや日常の慣れからくる当たり前も
ちっとも通用しない。

散歩に外に出る時、どっちに行くか
右に曲がるか、左に折れるかは子どもたちに聞くようにしている。
驚くほどに道を覚えている。
感覚的に。動物的に。
自分の家の通りが近くなると決まって叫ぶ。
「まだ家にはかえらないの〜!」
なので、知らぬ顔して1ブロック通り過ぎて別の公園に行く。
先日は通ったことのない、少し荒れた細い道に入ろうとして
toto君が泣き叫んだ。
叫んでいて何を言っているかちっとも分からないので、
双子のもう一人に通訳を頼むと、どうやら
「男の人がたくさんいるからイヤ」だそうだ。
長い通りをよ〜く見てみると、本当だ。危なそう。
自己防衛システム作動!彼らの感覚のなんと鋭いことか!!
そして何と頼もしいことか!!

昔NJでParis(6歳)を見ていた時も、大型車の後部席に
座っている彼が一番道に詳しかった。私がいつもhighwayで迷い
どの出口で降りるか分からなくなると、決まってパリスナビの
つよ〜い見方がいたものだ。





何の先入観もなく、感覚で見る目って大切ね。
そして当たり前の風景を客観的に見て素直に話してくれる
先輩でもあり後輩の存在がありがたい。目から鱗の日々。

2010年6月8日

Kahlil Gibran


Your children are not your children.
They are the sons and daughters of Life’s longing for itself.

They come through you but not from you,
And though they are with you yet they belong not to you.

You may give them your love but not your thoughts,
For they have their own thoughts.

You may house their bodies but not their souls,
For their souls dwell in the house of tomorrow, which you cannot visit,
not even in your dreams.

You may strive to be like them, but seek not to make them like you.
For life goes not backward nor tarries with yesterday.

You are the bows from which your children as living arrows are sent forth.
The archer sees the mark upon the path of the infinite,
and he bends you with his might that his arrows may go swift and far.

Let your bending in the Archer’s hand be for gladness;
For even as he loves the arrow that flies, so he loves also the bow that is stable.


Kahlil Gibran

2010年5月5日

頭の断片記録

本日、こどもの日!

月曜日と水曜日は、Exceptional Childrenのクラス、
日本語にすると何になるんだろう。。特別学級の子どもたちとでも言うのかな。今日はGifted とかTalentedと呼ばれる子どもたちについて話あった。色々考えることがあったので、まとめて一度では書ききれない。何から記録しておこう。。と思っていたら、今日のNew York Times の記事で私が授業中に思っていたことがアップされていた!!
記事のリンクはTwitter からポストしておいた。便利〜。

授業中思っていたことは、まず日本にはGifted childと呼ばれる子どもがいるのかな?って疑問。 Learning Disabilityのような「遅れ」を助ける特別学級はあっても、そもそも飛び級って制度がなさそうだ。。Giftedと呼ばれる子どもに見られる特徴は、学習能力の高さ、記憶力や数学の計算能力、音楽やアートにおける想像力と創造力が秀でていること。IQの高さだけではない深い考え方の出来る能力。

日本の小学校から高校にかけての子どもたちは、IQは高い。
なぜなら学校で習う前に、ずっとずっと前に塾で既に習っていて、
公立学校での規定の学習スケジュールの遥か前を行っている。
すると学校での授業は面白くない。
学校に行っても、学びがない。
cairo: A campus where unlearning is first
カイロの高校も同じようだ。試験の為の暗記すべく情報、という教育が一般化していて独自で考える能力が身に付いていない。大学生になってから「此処はどこ?私は誰?」状態のidentity 探しが始まる。
Gifted と呼ばれる子どもたちを見かけないのは、その時期に創造力が育っていないからだ。でも例えばモンテッソーリ教育を例に挙げるとすると、モンテッソーリの理念で育った子どもたちは、経営者や創立者に多い。自分の得意分野を追求して、自ら調べ学ぶ機会を与えてくれるからだと思う。

オバマはアメリカの公立学校の登校日数を増やす予定でいる。
アメリカはおよそ100日近くも、他の国と比べると学校日数が少ない。
6月から9月の新学期までは、長い長い夏休み。
その遅れを、学校数を増やして追いつこう!という考えなのか。
でも、そもそも日数じゃないと思うのだ。
もちろんアメリカの高校生や、大学生になってまでも取り組んでいる数学のレベルを見ると驚くばかりだけれど、それ以外の自由研究のような、各自の興味を引き出し、調べ、発表するという学びは貴重だ。要は先生と授業の質だと思う。
咀嚼した情報(学び)はidentityになる。いい大学に行く為の詰め込んだ情報は何になる?頭でっかちの知識だけの人間は、想像と創造力、それに柔軟性も欠ける気がするな〜。

2010年5月4日

viva la vida!



"I'm proud of me"


アメリカの教育制度の中でも、いいなと思う所の一つ。
人との違いは個性であって、"limitation"があろうとも彼女は
自分のことを"I'm proud of me" と言い切る。美しい。
今ある人生を受け入れる。
「障害があるせいであれが出来なかった、
なんて後悔したくない。」彼女の姿勢を見て生徒たちは育つ。
子どもたちの力強いrole model だ。そして女性として
人間として、強い意志を持って実現させていく彼女は
美しい。

viva la vida!!
一日中coldplayの曲がループする。
life is short. 人生生き尽くせ!




PS
ビデオ後半で、登場する旦那さん。歩いてる背景にあるFederal Building。
その中のデイケアでインターンしていたよ。

2010年5月3日

おもいやり

8 a.m. 幼児心理学@Child Development

先週"Self-esteem"について書いたペーパーが返された。
先生は興奮して言った、クラスで発表して欲しい。
あなたの書いた「Omoiyari」について!!と。
先生はうまく発音が出来ていなくて、あまりのRの巻き舌に
何のことを言っているのか始めさっぱり分からなかった。

ペーパーはザッとこんな感じ。
アジア圏の文化は西洋のそれと比べるとlow self-esteem (自尊心が低い)。というのもindividuality(個人)より社会の中の調和を重んじるから。
日本語って言語自体が、そもそもとても間接的。
英語のようにダイレクトに"Yes" or "No" を伝える言葉ではない。
言葉に頼らずに"No"サインを送ることだって可能なのだ。
だから一般的に日本人はEmpathy(感情移入)も Sympathy(同情)も強く持っていて、それ以上に「おもいやり=sensitiveness or consideration to others rather than ego. (と説明)」という感情が小さな頃から育まれる。
。。。とざっと「おもいやり」の箇所だけを要約するとこんな感じ。

「おもいやり」っていう文化はアメリカにはない。
辞書の中ではSympathyを同情、おもいやりとして訳されているけれど、あまり適切ではないし、西洋人の考えるSympathyとおもいやりは
まったく別物だ。
なので、心理カウンセラーの教授からしたらあまりにも新鮮だったみたい。
彼女はそれこそステレオタイプに、個人の我が強いユダヤの出身なので、私の「人ってひとりで生きていない」発言に目から鱗だった様。
感謝とか、有り難く思う気持ちって大切。自分はひとりで生まれて
育ってきた訳じゃないんだから。家族や友達、自然に対するおもいやりって自然界で生きてる以上大切なことだと思う。

発表後、先生がちょっと上達した発音で、
「じゃあみんなで一緒に言いましょう!Omoiya~Ri!」
とクラス全員で合唱したのでした。

2010年4月25日

the role model




若い女性たちへの理想の模範、とインタビュアーが言うだけじゃなく
社会貢献にも意欲的で、リーダーシップを持っている女性。
NYのHill's Kitchen出身の彼女。多くの黒人の若者が彼女の活動や音楽から肯定的に影響を受けてくれるといいと思う。

チャイナタウンから一転して、黒人とヒスパニックのエリアに移った。
身を守る術を身につけるべく、慎重にここにいる。
昨日の夜、そんなに遅くない時間の地下鉄で、
落ち着かない黒人男性が何枚もの新品のシャツを広げては
回りにいる乗客に、どっちが似合うか聞いていた。
Drug dealerだ。コカインを売ったお金。
堂々とモラルのかけらもなく、どう吸引するのが一番いいかを大声で
話していた。危ない。
必ず距離を置くこと。iPodで周りの音を遮断するのは危険。
自分の距離に入る隙を与えないように、本などに目を落とす。
教育の欠落がどれほど人に影響を及ぼすか、
この地域では一目瞭然だ。
オバマが黒人初のプレジデントになっても、
低所得者層の人にとっては雲の上の話。
政治どころか、社会に関わっているという意識が皆無。
そういう意味では、アリシアのようなミュージシャンが、
黒人の、女性のロールモデルとして発言していくことに
強いパワーを感じる。

Keep a child alive

2010年3月14日

Students with Special Needs

「Exceptional Children」のクラスの課題で、P.S.150 (P.S.= Public Schoolの略。NYの公立学校はこう表示される) に来ている。
何をするかと言うと、IEPを受けているこどものCase Studyだ。
IEPというのは、Individualized Educational Program の略で1年生の書きや読みが必要なレベルになると、遅れが見受けられるこどもたち対象にSpecialEducationServicesが手配される。もちろん細かな診断や、規定のレベルなどあるのだけれど、IDEA(Individuals with Disabilities Education Act) の下、細かな診断やテストがあり、法的に全てのディスアビリティーのこどもが個人にあった専門教育を受ける事が定められている。

2年生の教室には、IEPの生徒が7人。
Learning Disabilities(LD)とカテゴリー分けされたって、みんな違うのだ。
読み、書き、スペル、数字の概念、ディクテーションなど。
スピーチセラピーを受けているRちゃんは、「b/d」「p/q」が混同してしまう。抽象的なものを理解することが困難なので、算数に苦労している。
嗚呼、私はまさにIEPが必要な子供だったな、そして今も変わらないdisabilityがあるなっと思った。数字なんて特にビジュアル化して目から脳に送らないと、理解出来ないところは変わらない。小学生の頃 Autismの男の子が同じクラスにいて、特別学級と呼ばれるクラスに行くことがあった。読み書きの不得意な子だったけれど、飛び抜けた記憶力とヒアリング力を持っていて、いつも大好きな電車のアナウンスをしていたのを覚えている。今でいう鉄道マニアか?駅の名前も、電車の発進する音までも再現していた。彼の事を「知恵おくれ」と呼ぶ意外の、症状の特定な呼び方は知らなかったからみんなそう呼んでいたけれど、算数のクラスではある意味、私だって知恵おくれだった。

2年生のS君は、OT(Occupational Therapy)を週に一度、通常のクラスを抜けてセラピストが彼の為のクラスを組んでいる。その日は,朝TownMeetingで長時間座りっぱなしだったので、ボールとラケットを使った運動をしていた。彼の場合、執着心がとても強く完璧であることを求めてしまうので、本の感想をクラスで書くとなると時間内で書き終わらないところか、書き始められないこともあるそうだ。そして少しの間違いも気になって消しゴムで消しすぎて、紙が破れてしまうことも多々ある。Physical面では、自分の体の使い方と力の認識を学ぶ為に、OTの専門セラピストがついている。

Town Meeting

金曜日は急遽、公立小学校で一日Case Studyの
オブザベをさせてもらった。
@P.S.150 Tribeca Learning Center

この学校の素晴らしいところは、1学年に1クラスしかないところ。
地域的に、ミドルクラスの教育熱心な家族が多いので、
目を見張る程にシステムとサポートが行き届いていて、
教育者(先生たち)の表情も姿勢も、別格なのだ。
この日は、朝9時から招待してもらって
1年に数回行われると言うTown Meetingと呼ばれる
全校集会みたいなものから参加させてもらった。
Kindergartenから5thまで、1クラス20人程の全校生徒が
一同に集まって、その時々のプロジェクトを発表する。
校歌や国歌を歌うのではなくて、"Thank you for being a friend"
という歌を合唱して始まった。とっても素敵な歌で
朝から感動して涙目のわたし。歌が終わると進行役の
先生が自分の手を肩において言う。「今度は自分に言いましょう。
いつも一番の友達でいてくれてありがとう。」

キンダーから発表が始まる。
Respect とは何か?をみんなで話し合った。それぞれの意見。
1年生と2年生は、Bullyに焦点を当てたプロジェクト。
いじめっこってどんな子?何をされたら嫌?嫌な目にあったらどうする?
3年生の発表には、みんなが身を乗り出して注目した。
人と違うってどういうこと?
一人ずつ立って自分だけのユニークネスを発表。
歯の矯正をはめているから。赤い髪でそばかすがあるから。
フランス語を話すから。二人一緒に発表する子もいた。
私はユダヤ教で、彼はキリスト教だから。そして最後にみんなの笑いを取ったのは左腕にギプスをはめている男の子。僕がみんなと違うのは腕を骨折して、キャストをしているところ!と言って左腕を上げたのが大ウケだった。
「Different」とか「Unique」である、ということにアメリカのEarly Childhood Educationでは重点を置いている。Everyone is Special.
Self-esteem(自尊心)の捉え方と持ち方の決定的な日米の違いは、この文化の違いが大きい。人と違うこと、それが例え言語発達の遅れであっても、個人を尊重してひとりひとりにあったサポートをする。

それが本題のCase Studyの課題。それがIEPという、Individualized Education Program。午後のクラスアクティビティーでS君を1日レポートした。

2010年1月9日

Day 9: 国分寺















去年の11月の時点で参加申し込みをしていた、
モンテッソーリ教育の講演会へ、国分寺まで小旅行してきました。

海の向こうから、ずっとブログ等で活動拝見させてもらっていた、
日本で活躍する素敵な方々と直接会うことができて
大変光栄。素晴らしい機会でした。

講演者のJudith Orionさん。
オランダにある国際モンテッソーリ協会のトレーナであり、
世界各地で講演会やセミナーを行っているモンテッソーリ教育の
伝道者。
そして通訳&モンテッソーリ教師の深津高子さん。
更に唐突に声をかけてびっくりさせてしまったであろう、
ピースボートこどもの家の小野寺さん。
キラキラ輝く笑顔を持つ、素敵な女性。

お話自体は、私が学校で学んできたことと、
色々なデイケアで体験してきたこと、
プロフェッサーやデイケアのヘッドティ‐チャ‐から学んできた
知識のおさらいといった感じで聞くことができました。
自分の理想とする教育理念を再確認する整理ができ、
卒業後の進路希望に光が見えてきた感じです。
 
特に深津高子さんにお会いできたことは、
何よりの光栄でした。
インターネットも普及していない、募金がせめての国際貢献の
ひとつだったような時代に、深津さんは単身カンボジアに渡り
食糧や衣料を難民キャンプで配給していたのです。
しかしそこで、自分が難民を増やしている感覚に陥ります。
食糧を配れば配るほどに、難民は集まってくる、と。
難民キャンプを巡り、どうしたら難民の出ない援助が出来るかと
悩んでいる時に、キャンプ内の保育園でモンテッソーリに出会うのです。
「平和は子どもからはじまる」 園長先生がその時の深津さんに
おっしゃったこの言葉が、今の深津さんの活動の原点になるのでしょうか。
 
アメリカの幼児教育方針が好きだ、と思ってここまで来たけれど、
実際現場に入ると、園長の方針・理念次第で、私のような平ちゃんは
上のルールと、親の要望との板挟みになることが多い。
本来メインであるべきは、子どもたちの健全なる心と体の成長への
ヘルプと安全、そして教育を用意しておくことなのに。
そんな混沌の中で、今回こうして高津さん方に直接お会いすることが
出来たのは本当に、希望はある、と思わせてくれるパワーをもらいました。
回り道に、高い山にと、、長い道のりをノロノロ歩いてきたけれど、
全ては意味のあるもので、必然なのだと。
2010年は、動く一年になりそうだ。
動こう!

2010年1月7日

Day7: 浅草ー自由ヶ丘


去年の茶会でお昼を食べた、天丼屋さんの入口に
「Japanese ONLY」 外国人お断り!という張り紙が。。。

愕然。。
これは立派な「人種差別」です。

アメリカだって人種差別がなくなった訳じゃない。
でも少なくともNYでは、タクシーに乗ろうと右手を挙げたって
インド、イスラム、アフリカ、中国、ネパール、日本、、と
色々な人種のドライバーがいて、そして自分の人種が原因で
乗車拒否されるなんてことは、ない。
(!去年黒人のバスの運転手に、バス停をスルーされましたが。。)
基本、それぞれが相手を尊重して共存している訳です。
そして少なくとも、高校や大学でEducationがしっかり得られる。
公民権運動や、マルコムXは誰もが学ぶ人種差別の基盤であり、
来週はMartin Luther King. Jr の誕生日。アメリカは祭日です。
Obamaだって大統領になった2009年。
日本はどうして、こんなにも無知で閉鎖的であり続けるのか?


CommunicationとEducation、生きていく上で大切なtool。
その怠慢が故のこの有様。
張り紙を出して主張しても、一方的な持論はもはや
Communicationにはならない。大抵の人がなんてことなく
見たり過ごしたりする「ふつー」が、私にとっての疑問であり、
あまりの疑問量に、わだかまりでいっぱいいっぱい。





PS, MeMo>
茶会プレゼンツ、理想の保育場をいずれ作ろうと思う。
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0811/27/news004.html

2009年12月3日

執刀日

かわいい犬、猫ときて今日はブタ。
とはいえ、写真はやっぱり無理そうだ。

魚を3枚にさばけないどころか、
釣った魚を触れない、という有様の私が
イヤだ嫌だと思っていたこの日がやってきた。

廊下まで漂う異臭、
バケツの中、無造作に投げ込まれ顔を出すのは、、


こぶた。


嗚呼、何とも言えないあの心の準備が出来てない状態で、
目にしてしまった、しわくちゃのこぶた。
頭痛との闘い、バイオロジークラスのLab1時間。
「Fetal Pig Dissection」

そう。哀れなこぶたは30センチほどのFetal=胎児。
別段ベジタリアンではないけれど、Animal Rights には賛同
するし、PETAやWWFの活動のいちサポーターではある。
栄養ホルモンで成長を加速させられる動物たちや、
ファッションの為に皮を剥がれる動物たち。
人間のエゴは醜い。
胎児である実験用のこぶた達のはっきりした
入手法は分からないのだけれど、察するところ食用の雌豚の
体内から出てきた,産まれるはずだったこぶただろうか。。
嗚呼、考えただけでも気が滅入る。
なんだって、別に医者を目指す医大生でもない私たちが
腹を切り開いて、臓器を確認する必要があろうか!!!
腹はたつし、気持ち悪し、匂いは凄いし、
さらにはクラスメートがイスラム女子なのだ。

学校にいるMuslimの中でも、彼女は際立って信仰深い。
他の子のように、カラフルな色は纏わないし、
夏だろうが露出部分は、目、のみだ。
もちろん豚を食べない宗教なのだから、
触るなんてもってのほか。気が滅入りすぎてふて寝中。
解剖後、ロシアンの教授に叱られるが宗教的理由なのだから
責めようがない。

こぶたをバケツから取り出す事も出来ない3人だった為
隣のグループに入れてもらって、ヘルプと言う名の見学。

解剖に血が騒ぐ、という彼女が楽しく執刀してくれました。
医者などという職業は、えらいこっちゃ。と思うわ。
クリスマスツリーでも見て,気持ちを落ち着かせましょう。