2012年12月19日

根菜類

自分自身が地に足ついてないからか、根っこ類の食べ物がとてもとても好き。レンコン、ごぼう、こんにゃく、ビーツ、生姜、にんじん、蕪などなど、毎日の食卓はほぼこれらの登場で出来上がっている気がする。日本だからかなあ。
歯ごたえが好き。
土臭さがたまらん。
素揚げにしても、煮ても蒸しても美味しい。

昨日は30㎝以上もある、見事な美しいレンコンをにょきにょき大量に頂いた。嬉しい☆こんなクリスマスプレゼントが嬉しい田舎女子。
蓮根三昧。蓮根パーテイ☆


2012年12月18日

borderless






 NO  
 BORDER 
 NO 
 LIMIT 









2012年12月15日

愚痴る

7歳の甥っ子の誕生会。
何が食べたいか、リクエストを聞いたら《からあげ》だと言う。
残念ながら、今夜は家族で焼き肉になったので手作りの唐揚げはしなかったのだけど、夕方近所のスーパーに食材を買いに行った際、母がお惣菜コーナーのパックに入った唐揚げを買った。
帰り道の車の中、私は息が出来なかった。マフラーで鼻と口を覆って浅く呼吸をして20分、やっと帰ってきた。油とケミカルの臭いが充満する車の中、胃がもたれて気持ちが悪い。一体どうしてこんな質の食べ物が市場に出回っていて、人々は何の疑問も疑いも持たないまま食べ物をエネルギーにしているんだろう。質の悪い食事で作られる人は、同質の肉体と精神を持っていると思う。スーパーでは我先にレジに並び、かごが人に当たろうが目も合わせない。どうしたものだろう、この社会。スーパーはプラスチック製品だらけ。ガラス瓶好きな私はアメリカにいるとつい、その後の瓶の使い道を考えてピクルスでもココナッツオイルでも、瓶重視で買ってしまうのだけど、日本のスーパーでは何のトキメキもない。
私は何年ももう焼き肉屋さんに行くことは無くなったけれど、実家にいる間に家族に肉料理を作ることがある。臭覚が異様に敏感な人間なので、時々母が買ってきたパックの肉を焼くと異常な臭いを感じることがある。その度「ネクロファゴ」な野蛮性を思う。かといって人を非難しようという気はなく、人の意識を変えようとも思わない。人の力で変えられるものではないから。人は自らの経験を通して気づきを得ないと、自分の意志を持って変わろうとはしない。身をもって知っている。それがいいとか悪いとか、そういうことでもない。みなそれぞれ成長の過程もスピードも違う。

一番恐ろしいと思うのは、報道やテレビ、CM広告、日常の何気ない情報によって人々が驚くほどBrain Washedされていることだ。コントロールされ、パターン化されている。午前中に行った、甥っ子5歳の幼稚園のお遊戯会。立派な市のホールで行なわれ、あまりのショックで失神しそうになった。12時半から始まり、各園児はダンスと、劇に出てはひっこみ、3時過ぎまで20演目もあった。見ていられないのは、4歳児の女の子たちがAKB予備軍として、まさにそんな状態で肌が露出した、へそだしミニスカートのいで立ちで踊らされていることだ。教育って何だろう。頭を抱えてしまった。品もなく、文化もなく、個性を4歳にして押さえつけられた、パターン化の茶番。女の子はピンク、男の子は青。ジェンダー教育のかけらもなく、幼くともジェンダーに違和感を感じている子が、もしいるとしたら、それはとても息苦しい辛く狭い社会だろうと思う。個性や個の成長スピードもおざなりじゃないか。衣装も纏わず、列のはずれでぽつんとただ立っている男の子がいた。立派な個性だ。ただし、観客の人々は言う。「どうしちゃったんだ、あの子は」私にとっては、先生の指示通り型にはまって、いい子でいる4歳児のほうがよっぽど心配だ。

3年ぶりに日本に帰ってきて、初めてパワハラという言葉を知った。セクハラは知っていたけどパワーハラスメントというのも会社ではあるらしい。だとしたら、幼稚園教育から考えるべきだ。社会人になって会社に入ってから、突然起こる現象ではなく、お遊戯会に既に原石があるのだから。4歳の娘がセックスアピールに溢れた品格が見られない衣装で、お尻を振る振り付けをつけられて踊らされている。選曲も今の流行曲なのか、音でもリズムでもない。歌詞が淫ら。モラルハラスメントしかり、その衣装でカワイイね〜と先生や親に褒められれば、4歳の純粋な子どもたちはそれがロールモデルになるではないか。へそ出し衣装で、ふっくらした子は幼くして他人と比べられ、自尊心を傷つける。

もちろん日本中がこんな教育だけな訳ではなく、モンテッソーリやシュタイナーに関わっている友人や家族もいる。この地域でこういう生活をしている弟夫婦をジャッジする気もない。私は色々な側面を見せてもらって、多様性の幅を大きくし、たくさん考える。NYからハワイ島に移って、子どもたちの野生力を目の当たりにしたときの、あの衝撃と言ったらなかった。私が教育論たるや学んできた全てを、微塵にもぶち壊してくれたハワイ島で出逢った子どもたちに愛と感謝でいっぱいだ。全ての子どもたちが安心して、何に洗脳されることなく、自分の本来の姿を輝かせて笑っていて欲しいと思う。

最後の最後で、年長さんたちの太鼓があった。
18演目の雨雲がすっ飛ぶような、太鼓の振動。嗚呼すばらしかった!振動だよ。心を、ハートを震わせるのは。どんな人種だって、言葉がなくても太鼓のリズムさえあれば大丈夫なんだ!一列に並んで同じ振り付けを間違いなく!ではなくて、同じリズムを共鳴することなんだよね。太鼓は自分のポン!を叩きながらも周りのポン!を聞いていなくちゃ合わないんだから。聞いていたおばあちゃんやおじいちゃんも、全然反応が違う。思い出すんだよね何か、野性的な躍動感を。踊りも音楽も、やっぱり根底に民族文化が流れていて欲しいと思わずにはいられない。色々学んだ一日。
1歳になった姪っ子は、居間をフッツーに歩き回った。ほんの1週間前は2,3歩だったのに!子どもたちのパワーって本当にスゴい。奇跡だ☆

2012年12月12日

12/12/2012











2012年12月12日2時22分 そんな瞬間、そんな今。

2012年12月11日

大切なことは何ですか

繋がりの素晴らしさ☆感謝!

3年ぶりの日本帰国はかなりの長期戦となり、ニッポンのお正月も味わえてしまえそうです。こんなに贅沢に時間を持って読書に明け暮れ、活字を貪欲に吸収できたことが素晴らしい。知識だけの頭でっかちにならないよう、これらをしっかり消化してアウトプットしていけるといいな。

2012年総決算とも言えるべき、素晴らしいイベント@daylight kitchenに参加☆ハワイ島繋がりで彼女の存在を知って以来、その行動力と表現力に魅了されて、心密かにその活動を追いかけてきた。インスパイアーさせられる魅力的な女性。

「大切なことは何ですか」

彼女は自分の経験から、自分の言葉で伝え、答えを見つけて実践している人。何が正解で不正解ということはなく、真っ直ぐな瞳で、己の信じた道をひた進む。カッコいい!私の大切なことは何だろう。帰りの電車で自問する。

自分の価値観をはっきり認識したターニングポイントがあった。
2011年12月。幼児教育を専攻にしていた学校を卒業した時。お世話していた双子ちゃんのお父さんが不動産業に関わっており、空いている物件でDaycare を開けないか?とビジネスの話が舞い降りた。NYの集大成として、やって来たことが形になるのは素晴らしい!と意気揚々、「教育」に携わる者から、「教育ビジネス」を営む者として教育を真剣に考えたチャンスだった。そして出た答えは、NYではない。だった。
NY−文化多様性、食文化、豊かな芸術性と高さ、高水準の教育があり刺激的で忙しい街だ。でもそこには土がなかった。ずっと思っていた。デイケアのグラウンドにも土はなく、子どもたちを近辺の公園に連れて行くと、必ず耳にする "Don't touch dirt! You'll get germs!!" (バイ菌が入るから土に触らないで!)ビルの谷間で遊ぶ子どもたちは、もやしの様だった。
そこに3⋄11。私の心は確信した。太陽と水、自然豊かな場所で私は子どもたちと笑っていたい!って。ぱーっと心が晴れて、行ったこともないハワイの(ハワイ島の)ビジュアルがもうそこには開けていた。

太陽と食事は密接に関わっていて、
水と空気も同様。
美味しい野菜や果物、植物がグングン育つように、人間にだってこんな当たり前の要素がとっても大切。母なる大地を守って生きていきたいな。


2012年12月5日

deadline

12月5日:書類締め切り日
この日をもって、全ての書類を提出して一通り出来ることを託した。
夏から秋になって、2012年も残りわずか。
もっと早くに段取りが出来たんじゃないかとか、その間にあれもこれも出来たんじゃないかとか、そんなことを考えたこともあったけれど、結局そうしなかったし、「動」だけではない「静」の部分で出来ることがあった。全ては必要なタイミングで、必要な経験があった。過ぎた経験にわざわざNegativeな意識を上乗せするのは、意味のないことだ。

期待を持たないこと
依存を手放すこと(何に依存しているか知ること)
注意深くいること(心配することとは別)
意識を集中すること

不必要な圧、感情、通りすがりの人から発せられる低次元なエネルギー、それらは全て自分の心の状態を写す鏡であって、同情も同調して同じレベルの怒りを持つ必要もない。同じベクトルで感情が出る時、それは心に余裕がない時。深呼吸。深呼吸。その人の悲しみも怒りも、私のせいではないということを分かること。同情は必要ないけれど、おもいやりは常にある。そんな状態でいることがベスト。

私は長い間、人のアレコレを自分のせいだと責めていた節があった。約束をドタキャンされれば、それは自分が悪かったのだと自己防衛した。怒りを発散させることが上手く出来なかった。他人との人間関係に関しては克服したものの、未だにフツフツと奥底に残るのは家族間での「本来の自分」をさらすことの躊躇。生まれたてから一番に私を見ているのは両親なのにね。日本で家族と密着していると、つい「家族のなかでの役」に舞い戻ってしまう。本当の意味で、自立が出来ていないと思う。それはグラウンディングが弱いこととも大いに関係しているな〜と思う。まだまだ課題多きIssue。

ひとつ分かるのは、「恐怖心」
ただ、その恐怖心を根深く掘り下げることも、ここ数年やっと出来るようになってきた領域だ。過去に戻ると小学校4,5年生の頃から、記憶として持っている。ヒーラーの人には、3歳の頃のインナーチャイルドを指摘され癒してもらった。自分の3歳の記憶などなかなか持ち越し、記憶していないものだ。その恐怖心が、ありとあらゆる興味を引き寄せるのだから面白い。興味のある分野も、本も、根本はその恐怖があってこそ。


中村勘三郎が逝った。
今日も思う。
昨日居た人が地球上にもう存在しない。
死って何だろう。生きてるって。

今日は私の書類のデットラインだった。
Dead Line。死の境界線。