12月5日:書類締め切り日
この日をもって、全ての書類を提出して一通り出来ることを託した。
夏から秋になって、2012年も残りわずか。
もっと早くに段取りが出来たんじゃないかとか、その間にあれもこれも出来たんじゃないかとか、そんなことを考えたこともあったけれど、結局そうしなかったし、「動」だけではない「静」の部分で出来ることがあった。全ては必要なタイミングで、必要な経験があった。過ぎた経験にわざわざNegativeな意識を上乗せするのは、意味のないことだ。
期待を持たないこと
依存を手放すこと(何に依存しているか知ること)
注意深くいること(心配することとは別)
意識を集中すること
不必要な圧、感情、通りすがりの人から発せられる低次元なエネルギー、それらは全て自分の心の状態を写す鏡であって、同情も同調して同じレベルの怒りを持つ必要もない。同じベクトルで感情が出る時、それは心に余裕がない時。深呼吸。深呼吸。その人の悲しみも怒りも、私のせいではないということを分かること。同情は必要ないけれど、おもいやりは常にある。そんな状態でいることがベスト。
私は長い間、人のアレコレを自分のせいだと責めていた節があった。約束をドタキャンされれば、それは自分が悪かったのだと自己防衛した。怒りを発散させることが上手く出来なかった。他人との人間関係に関しては克服したものの、未だにフツフツと奥底に残るのは家族間での「本来の自分」をさらすことの躊躇。生まれたてから一番に私を見ているのは両親なのにね。日本で家族と密着していると、つい「家族のなかでの役」に舞い戻ってしまう。本当の意味で、自立が出来ていないと思う。それはグラウンディングが弱いこととも大いに関係しているな〜と思う。まだまだ課題多きIssue。
ひとつ分かるのは、「恐怖心」
ただ、その恐怖心を根深く掘り下げることも、ここ数年やっと出来るようになってきた領域だ。過去に戻ると小学校4,5年生の頃から、記憶として持っている。ヒーラーの人には、3歳の頃のインナーチャイルドを指摘され癒してもらった。自分の3歳の記憶などなかなか持ち越し、記憶していないものだ。その恐怖心が、ありとあらゆる興味を引き寄せるのだから面白い。興味のある分野も、本も、根本はその恐怖があってこそ。
中村勘三郎が逝った。
今日も思う。
昨日居た人が地球上にもう存在しない。
死って何だろう。生きてるって。
今日は私の書類のデットラインだった。
Dead Line。死の境界線。
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